嘘と本気の狭間


「なぁなぁ、あいつ岳人と似とらんか?」
「え〜、どいつだよ…」

 氷帝学園テニス部入部初日。

 ふと自分に向けられるあからさまな視線と微かな声に気がついた。俺は気づかない振りをしているとその視線の主たちの声がはっきりと耳に届いた。
「ほら、あそこのデカイやつの隣にいるやつやんか。なんか岳人の髪型と似とらん?」
「どれどれ…え〜俺あんなんじゃねーよ。あんなキノコと一緒にすんなよ」

 …キノコってもしかして俺のことか?

「キノコて言い過ぎやで。本人に聞こえるやん」
「いーんだよどうせ俺のが先輩なんだし。ひでーよくそくそ侑士め〜!」
 批評しておいて俺のことをどうでもいいだと?
 俺はチラっと視線だけを向け声の主を確認した。仲の良さそうな小さいおかっぱと背の高い眼鏡。
「ん?岳人、あいつこっち見とるで」
 先に俺の視線に気づいた眼鏡が小さいおかっぱに小声で話しかける。その言葉におかっぱを俺を見た、そして視線がぶつかる。
「おいそこの一年」
 おかっぱは視線をそらすかと思ったけど予想外に俺に向かって歩いてきた。
「俺のことですか?」
 とりあえず先輩なのはわかっていたので一応の敬語で応える。
「そう、そこのお前だ。名前なんていうんだ?」
 にこにこと笑いながら近づいてくるおかっぱはさっきまで俺の髪型のことをバカにしていたことなどすっかり忘れているのか悪いとも思っていないのか。
「日吉…若といいます。」
「若?よし覚えた。なぁなぁ、お前ってその髪型キノコをイメージしてるんだよな」
「…なっ?!」
「ちょ、ちょお岳人!」
 悪びれもせずニコニコと俺に問いかけるおかっぱを後ろからついてきた眼鏡が慌てて背後から羽交い締めして止める。
「…少し、先輩のおっしゃる意味が理解しかねるのですが」
 顔が引きつるのを必死に押しとどめながら努めて平静に尋ねる。
「だってマッシュルームカットってあるじゃんか、だから椎茸カットってのもあるのかなと思ったんだよ」
「アホか!すまんな日吉、こいつ悪気はないねん」
「なんだよ侑士〜!俺は日吉に興味を持ったんだ。あ、俺は向日岳人ってんだ。よろしくな日吉!」
 わめきながらもおかっぱ、もとい向日先輩は眼鏡に引きずられて行ってしまった。


 出会いは突然、第一印象は最悪。言葉通り気に入ったのかあの人は何かあるごとに俺に構ってくる・・・不思議な人だ。


「だ〜れだ♪」
 部活も休みのある日、俺は何気なく街を歩いていると突然視界が遮られた。どうやら俺は背後から目隠しをされたらしい。
「…」
 何となく近づいてくる気配を感じていたけど、それが誰なのかもわかってたから俺はあえて無視していたらこの始末。
「…だ、だ〜れだ」
 俺とあの人の身長差は結構ある、声の聞こえてくる位置から考えて無理して背伸びしているのだろう。俺の目に当てられた手がだんだんと小さくだが震えてきている。ずっと背伸びをしているのが辛いらしい、そんな無理しなければいいのに。
「…」
「おい、誰だって聞いてんだよ!」
 声はどんどん苛立っていって最後には怒鳴り声になっていた。
「そんなに大声ださなくても聞こえてますよ、向日先輩」
 ふぅっと軽くため息をついて応えるとパッと視界が開けた。そして目の前に全身を使って俺に抗議する向日先輩が現れた。
「おっ前なー、わかってんだったらさっさと答えろよ!」
 地団駄を踏むその姿はとても年上とは思えない。
「…すいません」
「心がこもってない!」
 呆れながら適当に答えるとビシっと指を鼻先まで持ってきて怒り口調で鼻先をつついた。
「じゃあ俺はこれで失礼します」
 気がすんだろうと向日先輩に背中を向けて歩き出そうとした…したんだけど
「向日先輩…離してください」
 俺の腕に抱きつくように絡みついて俺を見上げる向日先輩は俺と視線が会うとニッと笑った。
「お前これから暇?」
「…先輩と遊んでいる暇はありません」
「じゃあよ、これから一緒に遊ぼうぜ。ホラ、映画のチケット持ってんだ俺!」
 全く持って人の話を聞かない人だ。
 向日先輩の手にあるのはCGを使ったスポーツのくせに人外的なアクションが話題の映画だった。
「これって格闘技も入ってるだろ?お前こういうの好きそうじゃねー?」
 アクロバティックな貴方もこういうのが好きなんでしょうね。
 俺は心の中で呟いた。
「でも何で一人なんですか?」
 どうせ先輩ならわざわざ俺を誘わなくても行く人は誰でもいるだろう。
「侑士は用事があるからダメだって言われたんだよ。跡部はそんなガキっぽいの見れるかって言うし宍戸は鳳と見てきたっていうしジローは映画なんか見たら絶対に寝るだろうしな…滝は連絡が取れなかった。だからお前一緒に行こうぜ、な、決まり!」
 一気にまくし立てて頷くと俺の返事も聞かずに俺を引きずりながら歩き出した。
「仕方ないですね、つきあいますよ」
 盛大なため息をつき横に立って歩く。

 まぁ、実は俺もその映画は見てみたいと思ってたからちょうどよかったんだけど選択肢として最後だったのが何となく悔しくって渋々向日先輩につき合うということにした。



「おもしろかったよな〜!」
 映画の後、二人でファーストフードに連れてこられて軽く食べる。向日先輩はまだ興奮醒めやらぬといった様子でパンフレットをみながら俺にしゃべりかけていた。
「…まぁまぁでしたね。」
 映画自体は楽しかったがどうしても隣で白熱している向日先輩が気になってしかたなかった。笑うシーンでは盛大に笑うし感動のシーンでは周りを気にせずボロボロ泣く。敵役がいい気になってて主人公チームが無様な時は歯を食いしばって怒りを我慢していた。よくまぁこれだけ表情が変わるものだと向日先輩の横顔が本編よりも気になって目が離せなかった。
「なんだよ、お前って俺の方ばっかり見てたよな」
 バレてたのか?!俺は一瞬心臓が飛び出しそうなほど驚いたが表情には出さずに切り抜ける方法を考える。
「それは…先輩が俺のポップコーンをほとんど食べたからですよ。先輩のくせに後輩の物をとるなんて意地汚いですね」
「う、うっせーな。そんなことでけちけちすんなよ。他人の食ってるもんってうまそうなんだよ!」
 俺のとっさの嘘に向日先輩は顔を真っ赤にして慌てる。
「向日先輩って他人のおかず横から横取りするタイプですよね」
 それを忍足先輩はいつも許しているからこの人が調子に乗るんだろう。
「う…いいだろ、文句あるのか?」
 俺の持っていたポテトに手を伸ばしていた向日先輩の手が止まった。
「欲しいんですか?」
「だって、お前の食ってるの俺食ったことないし…」
 そういう問題ではないのだが向日先輩は手を出したままジッと俺を見つめている。
「もう一つ同じの買って食うほど金ないしよ」
 その目に俺は餌を取り上げられた小動物を想像した。俺は向日先輩が食べようとしたポテトを手に取るとポテトと向日先輩を見比べて軽くため息をついた。
「…どうぞ、お食べください」
「マジで!サンキュー日吉!!」
 ついっと入れ物ごとポテトを差し出すと向日先輩はニコっと笑ってそのまま俺の持っていたポテトにパクっと囓りついた。
「…えっ!?」
「へへへ、サンキュ♪」
 一瞬何が起こったのかわからない俺を尻目に向日先輩は笑っている。
「言ったろ、人が食ってるのは美味く見えるって」
 全く、この人には叶わない…でも、俺がやられっぱなしでいるわけがないのはこの人もよくわかっているだろう。俺のモットーは下克上だ。
「俺も先輩の食べてるハンバーガー食べたことないんですけど…」
「ん?じゃあ俺のも食っていいぜ。これってソースが評判なんだよ」
 ホイっといつも他の先輩たちにしているであろう気軽さで自分の持っていたハンバーガーを俺の目の前に差し出した。このまま囓れってことなんだろう。そして俺がそんなこと恥ずかしがって照れるかもしれないといったことを期待しているかのように目を輝かせて俺を見ている。
「…頂きます。」
 俺は向日先輩の手を掴み身を乗り出す。そして一瞬の隙をついて向日先輩の口の端についていたソースをペロリと舐め取った。
「ひ、日吉?!」
「確かに美味しいですね」
 自分の唇を舐めると真っ赤になった向日先輩が辺りを見渡す。
「バカ!他の奴らに見られたらどうするんだよ!」
 そんなこと言ったってもう充分見られてますよ。
「いいじゃないですか、どうせ向日先輩は女の子に見えるでしょうし普通の男女のデートにしか見えません」
 改めて向日先輩の恰好を見ると俺は自分の言葉の正しさに確信を持つ。キュロットパンツにセーラーのシャツを着ている向日先輩は慎重も160cmないし髪も長い。知らない人が見たらちょっと口の悪い女の子にしか見えないだろう。
「くそ〜…」
 納得いかないのか女みたいだと言われたのが気にくわないのか向日先輩は未だ赤い顔でズッと俺を睨みつけている。
「何か文句でもございますか?」
「文句ならいっぱいある…」
「ならおっしゃってください」
 何を言おうとしているのか俺は少し楽しみで自分でも知らないうちに頬が少し緩んでいたらしい。
「じゃあ、じゃあ…今日はこのまま責任とって俺とデートしろ!デートなんだから男のお前の全部奢りなんだからな!お前に拒否権はねーぞ」
 突然の命令に俺は顔を歪めて先輩を睨む。
「そんな顔したってダメなんだぞ。もう決めたからな、お前は責任取らなきゃいけないんだぞ・・・俺の、俺のファーストキスをお前は奪ったんだ〜!」
 目に涙をためてワッと机に突っ伏す向日先輩の声は店中に響き、途端店の中にいた客どころか店員まで俺たちを注目してる。ひそひそと囁きあい俺の事を酷い男だの遊びだのと噂している。
「…っ、出ますよ先輩!」
 まだ机につっぷしている先輩の腕を掴みさっさとゴミを捨てると俺たちは店を出た。もちろん見ていた奴らを睨みつけて黙らせるのを忘れずに…



「いつまで泣き真似してるんですか?」
 店からしばらくして呆れたように呟くと、手を繋いで俺の後ろを歩く向日先輩からシクシクという声が消えた。
「バレた?」
「そんなの最初っからわかってましたよ」
 わかっていたけど店であんなことされたら迷惑この上ない。
「さっすが日吉だな。俺の泣き真似を見破るとは」
「あんなの小学生でもわかります。第一ファーストキスとか言いながら口よりちょっと横だったから違うでしょ」
「なんだよ〜!それくらい対した差はないだろ。奢れよ侑士ならいっつも奢ってくれるんだぞけちけち日吉〜」
 また抗議の声を上げる向日先輩は頬をぷーっと膨らます。
「うるさいですね…」
 俺は小さく舌打ちすると繋いでいた手をぐいっと引っ張り今度はちゃんと唇に自分の唇を重ねた。想像よりも柔らかいと少しだけ感触を楽しんでから顔を離すと向日先輩はさっきよりも呆然として俺を見ている。
「な…」
 『なんで?』とでも聞きたいのだろうか、口をパクパクしたまま次の言葉が出てこない。
「これでちゃんと事実になったでしょう、奢りますよ」
 俺がニヤリと口の端を持ち上げて笑ったのを見て向日先輩が走って俺に体当たりするように抱きついた。
「日吉ってもしかして俺のこと好きなのか?言ってみそ」
 見上げてパッと顔を輝かす向日先輩を引き剥がすと俺は先に歩き出した。
「なぁ日吉ってば!」
 後ろから追い掛けて俺の服の裾を引っ張って向日先輩が問いかける。
「さぁ・・・どうなんでしょうかね」
「なんだよそれ!」


 まだ今は言わない、この人がもっともっと俺のことを意識するようになるまで。

 俺以外の男の名前を口に出さなくなる日まで・・・



終了