プレゼント


 九月の晴れた日曜日。爽やかな朝の風が開け放たれた窓から入り込んでくる。

 ピンポーン

「んー、今何時だ?」
 家宅に誰かの来訪を知らせる音に目が覚めた宍戸は、手を伸ばして枕元の携帯を取った。
 液晶の時計は午前八時半を表わしている。
「まだはえーな、一眠りするか」
 半月前なら遅刻だと飛び起きた時間。けれど部活を引退した宍戸にとっては久しぶりの惰眠を貪る事が出来る。
 携帯を置きなおしてウトウトする宍戸の耳に段々近づいてくる足音が聞こえた。
「亮…亮!まだ寝てんのか、お客さんだぞ」
 遠慮無しにドアを開けて入ってきたのは宍戸の兄。
「…あー、客?ねむーからいい」
 寝ぼけ眼のまま適当に返し、もぞもぞと布団に潜り込む宍戸に対して兄は布団の上から軽く蹴りを入れ怒鳴る。
「寝てんな!さっさと着替えて降りてこい。せっかく跡部くんが来てくれたのに寝てたら失礼だろ」
「お兄さん」
 布団に包まる宍戸には、兄が何を言っているのかとっさに理解できなかった。
 それでも、聞き覚えのある声に夢へと落ちていく意識は一瞬踏みとどまった。
「ごめんな跡部くん、こいつ寝起き悪くってよ」
「いいんです、俺が起こしましょうか?」
 聞こえてくるのは確かに兄といつもうるさく絡んでくる跡部で、なのにその口調はまるで他人の様。
「そんなことする必要ねーって。亮、五分以内に降りてこいよ!」
 頭にゴツっという痛みのあとバタンという扉を閉める音が聞こえて部屋の中には静寂が訪れた。
「今の…どういうことだ!?」
 布団から出て痛む頭をさすりながら宍戸は必死に状況を把握しようとしていた。
 そして、見ていなかったがさっきの声は跡部だと確信すると余計に事態が理解できずに頭が混乱する。
「と、とにかく下に行かねーと」
 一気に眠気が吹き飛んだ宍戸は慌てて着替え、階下へと転がるように走り降りた。



「兄貴!」
 リビングの扉を勢いよく開け叫ぶ…
「おせーぞ亮、もっと早く降りて来いよ」
「やっと起きたのね亮、約束はちゃんと守らないとダメよ」
 呆れた声で宍戸を見つめる兄、少し困ったような顔で微笑む母。
 いつもの光景なのにそこに明らかに異なりつつ当たり前の様にソファにくつろぐのは紛れもなく跡部だった。
「あと、べ…」
「おはよう宍戸」
 ニッコリと微笑む跡部に宍戸はクルりと背中を向け、そろそろ肌寒くなったTシャツから伸びる腕をさする。
「何だあれ、跡部?あんな跡部見たことねえぞ、何企んでんだこえぇ…」
 誰にも聞こえない様に小さく呟く宍戸を跡部は無言で見つめている。
「お友達が来るなら言ってくれれば準備したのに、ごめんね跡部くん」
「いえ、僕も急に来たので。朝から申し訳ありませんでした」
 和やかな母と跡部の会話にすっかり鳥肌だった宍戸は、ここにいるのは偽者だと思い込むことにしてまず腹ごしらえしようと台所へ向かった。
「それじゃあ僕達は出かけますんで…」
「へ?おぃ跡部!」
 横をすり抜けようとした宍戸の腕をガッチリと掴んで立ち上がると、文句言わせる間もなく母と兄に笑顔を向けたままリビングから連れ出す。
「いってらっしゃい亮、跡部くん」
「土産はいらねえからな」
 目を丸くしている宍戸をよそに兄と母は笑顔で二人を見送った。
「…」
 玄関で靴を履いている跡部の後姿を宍戸はジッと見つめていた。
 見た目はどう見ても跡部、なのに中身は宍戸の知っている跡部じゃない。
「おい偽跡部…俺をどこへ連れて行く気だ」
 釈然とせずにその背中を軽く蹴ると、振り返った跡部が宍戸の足を素早く引っ張り虚を疲れた宍戸は玄関マットの上で転ぶ。
「アーン?てめえ、宍戸のくせに何言ってやがる。つべこべ言わねえでついてくりゃいいんだよ」
 立ち上がって転んだままの宍戸を見下ろす跡部は宍戸が知ってるいつもの跡部で、その姿に宍戸は少しだけホッとした。
「いってえな…朝っぱらから人ん家に勝手に上がりこんでた奴がよく言うぜ」
 憎まれ口を叩きながらも、跡部はこうだよなと小さく笑う宍戸は同じようにスニーカーを履いて隣りに並んだ。
「で、どこに行くんだ?俺腹減ってんだけど」
 つま先をトントンと床の先で叩きながら玄関を出ると宍戸は当りを見渡す。
「何キョロキョロしてやがる」
「いや、いつもの自家用車がねえなと思って」
 跡部が行動するときは大概車で移動する。もう一つ言えば今日は樺地がいない。
「今日は庶民の一日を体験しにきた、だから車は帰らせたぜ。腹減ってんならどこかに案内しろ」
 ふんぞり返る跡部に、宍戸は呆れかえって見つめた。
 跡部は冗談で言ってるわけではなく本気だ。だからこそ扱いに困る時が多々ある。
「へー、庶民の一日か…なら別に俺のとこに来なくてもいいのによ。まぁいい、腹減ってるから先に飯食いに行こうぜ」
 宍戸達が庶民と言われても仕方ないくらい跡部の生活は普通ではない。執事やたくさんのメイドのいる生活…なぜ自分なのかはわからなかったが跡部がわざわざ宍戸の家まで来た。
「どこ行くんだ?」
「んー、駅前のマックで朝マックかな」
 一日惰眠を貪りダラダラするのも悪くないが、目が覚めてしまったので寝直すこともできない。宍戸は一日跡部に付き合う覚悟を決めて駅前へと歩き出す。



「跡部何する?」
 店に入ると、思ったよりは人が少ないらしく早くカウンターへとついた。
「…お前と同じのでいい」
 無言でメニューを見ていたが、迷っているのか跡部は胸で腕を組んで宍戸に注文させた。
「はいはい。じゃあ…このセット二つに、これもお願いします」
 注文を終え、清算しようとした宍戸の肩を掴むと跡部は自分のポケットから財布を取り出した。
「跡部?」
「これで払え」
 手渡された財布は分厚く、その額に驚いたが跡部は返す気はないらしくまた後に下がり店員も宍戸を待っている。
「…とりあえず払っとくぜ。あ、適当に席見つけて座っててくれ」
 支払うと、跡部に席を指差し支持する。跡部は眉を顰めながらも言われた通りに席を捜し始めた。
「席くらい見つけられるよな…」
 跡部の背中を見つめて呟く宍戸の心配をよそに、跡部はきちんと座っていた。
「んーと…あ、いたいた。ほら跡部、持ってきたぜ」
 周りにケンカを売ることもなくきちんと座っていた跡部に安心しつつ、こんな跡部は貴重だなと心の中で思いながら宍戸は二人分の乗ったトレーを置いた。
「これが宍戸がよく食ってる物なのか?」
 紙に包まれたハンバーガーを不思議そうに見つめて跡部が試すように齧る。
「どーせ跡部が普段食ってんのとは比べ物にならねえだろうけどな…あ、奢ってくれてありがとうな」
 同じ様に食べながら財布を返そうとするが跡部はそれを押し止めた。
「今日は一日宍戸が俺を案内するんだ。持っておけ」
「はぁ?けど全部跡部の奢りって、悪いだろうが」
 少しずつでも回数を重ねると結構な金額になる。そんなに全て奢ってもらう覚えが宍戸にはない。
「俺がいいって言ってんだ、遠慮すんじゃねえよ…てめえの誕生日祝いなんだし」
 ニヤリと笑う跡部に、宍戸は目を丸くした。
「へ?誕生日って…なんで跡部が祝うんだよ」
 確かに月末は宍戸の誕生日だが、何故祝われるのかがわからない。
「気にすんじゃねーよ、俺がわざわざ祝ってやるんだ。光栄に思いやがれ」
 そう言いながら跡部が差し出した封筒を受け取ると、目の前で広げて宍戸は顔を顰めた。
「これって…跡部の誕生日祝いパーティーの招待状かよ」
 毎年の事ながら跡部の誕生日祝いは盛大だ。去年は船を貸しきっての船上パーティーが行われ、物珍しさに向日やジローとあちこち歩き回ったものだ。
「俺の、誕生日パーティーだ」
「…なるほど、主役は一人で充分ってことか」
 口の端の持ち上げて笑う跡部に宍戸はようやく理解したと小さくため息をついた。
 誕生日が近いためテニス部仲間からは纏めて祝われることが多い。プライドの高い跡部はそれが許せないのだろう。
「宍戸のために二回もする必要なねえからな、俺がわざわざ祝ってやってんだからありがたく思え」
 ならば遠慮はないと宍戸は財布を慎重にポケットにしまった。そして欲しい物があったなと頭の中でリストを作成する。
「跡部様が他の奴らの代わりに祝ってくれんだ、しっかり祝ってもらわねーとな」
 例えいつもの様に嫌味を言われようとせっかくの跡部からの申し出、楽しんだ者勝ちだと宍戸はニッと微笑み手元のポテトを摘み口に運んだ。



 全ては跡部の思惑通り



「あーとーべっ♪」
 月曜日の放課後。
 引退してもなお頼まれてテニス部の練習を見ている跡部に忍足が背後から近づいた。
「何だよ気持ち悪ぃな」
 ニコニコと微笑む忍足に跡部はあからさまに眉を顰めた。
「あんな、俺新しいDVDレコーダーが欲しいんやけど」
 自分の両手をニギニギと握りつつ猫撫で声を出しておねだりする忍足は、跡部でなくても顔を顰めただろう。
「…近寄るな」
「え〜、俺の誕生日って跡部の誕生日のすぐあと何やけどな〜」
 ニヤっと何かを企む笑顔に変えると忍足は低い声で囁いた。
「宍戸とのデートはさぞかし面白かったんやろ?上手い事言うて二人っきりなったんやなぁ。宍戸もえらい喜んどったで、跡部と二人で遊んだん初めてやったけどすごい楽しかったってな」
 忍足の言葉に跡部は当たり前だと舌打ちした。
 わざわざ宍戸の誕生日という名目で宍戸の好きなところへ行った。しかしそれは単に言いなりになるだけじゃなく、宍戸の好みを把握するという目的も含まれていたから跡部も非常に有意義な一日を過ごせた。なのにそれをこの男に知られてしまうとは…
「今日も跡部が買うてくれたスニーカー履いてきた言うてたしな。あの宍戸が、よっぽど楽しかったんやろ…ちなみにこの話は俺だけやのうて岳人やジロー、滝も知っとるで」
 見るとちょうど宍戸と鳳が会話している。きっと昨日事を話しているのか、時折鳳がチラチラと跡部の方を見ていた。
「わかってへんのは宍戸だけ、難儀やなぁ」


 いつもいがみ合って言い合いをする宍戸を気がつけば目で追っていた。
 それは気に食わないからだと思っていたけど、もっと近くで色々な事を知りたいと思った時にそれは違う感情だということに気付いた。


「お、よう跡部。昨日はありがとうな」
 まだ機嫌がいい宍戸は跡部の視線に気付き近づいてきた。
「ふん、あれ程度で喜ぶなんて庶民レベルの低い奴だぜ」
 口を開けば嫌味ばっかり出てくる自分は本当に素直じゃないと跡部は思った。それでも、素直じゃないのは宍戸もお互い様だから、普段の二人は見た目は仲がよいように見えない。
「へっ、言いたけりゃ言えよ。デパートの屋上にあるゲーセンで熱くなってた奴に言われたくねーぜ」
「っ、てめえ…言うなって言っただろうが」
 思い出してニヤリと笑う宍戸に跡部は頬を赤らめる。
 それを聞いて忍足がやっぱりニヤニヤと笑っていた。
「跡部坊ちゃんに庶民の生活はさぞ新鮮やったんやなぁ」
 言外に宍戸と一緒ならなおさらだ、という意味を含ませる忍足に向き直ると跡部は顔を引き攣らせながら近づいた。
「おい忍足、てめえも誕生日近いんだろ」
「へ、あぁ…」
 ガシっと腕を掴まれて、鬼のような形相の跡部にヤバいと思ったときにはもう逃げられず。
「俺様が直々に相手をしてやる、光栄に思いやがれ」
「いや、俺は…そうやのうて、ちゃうから…」
 跡部を怒らせすぎたと忍足が後悔したときにはすでに遅く、その日コートを一面占領して跡部の誕生日祝いという名のシゴキは忍足が動けなくなるまで続けられた。
 もちろん、破滅へのロンドを忍足が食らった数は数え切れえない…


「忍足の誕生日も祝ってんのかよ」
 そんな二人を見て少しだけつまらなさそうに呟いた宍戸の言葉は、誰にも聞かれることなく風に消えた。



終わり