きのこの恋


「…ここはどこだ?」

 俺は目の前の風景を見渡した。
 赤い葉が揺れては落ちる落葉広葉樹の太い幹はどこか懐かしい気持ちがするものの、今まで見てきた風景とは全く違った。

 ふと下の方でカサっと音がして無意識に視線を下に向けると

「俺の…足?」

 赤い葉のジュータンの上にしっかりと踏みしめて立つ足があり、そのまま視線を上げると太股、胴体、そして手。その手で触ると首や顔、髪の毛が確認できた。

「マジかよ…」

 あまりの奇跡に俺は言葉を失った。




 俺は何年も何十年もここにいた
 雨の日も風の日も雪の日も、時折り他の生き物に手折られる時もすぐそばの同じ存在に意識を移して、冬の寒さに枯れるときは地面の下の媒体に潜り込み「俺」という意識は何世代もの体を移りゆきずっと存在していた

 最初は「俺」という意識の存在の自覚すらなかったがいつのまにかこうして物を考えるようになったのも月日がたったからだろうか
 俺の世界に忘れた頃の現れる4つ足で歩行しないケモノが俺や俺の回りの同じ物体を示して『きのこ』だと言った。

 その時俺は自分がそういう存在なのだと自覚した
  
 
 そこからはたびたび訪れるその生物から知識を得ることを繰り返していた
 その生物が『人間』という言う名でこの世界を支配するケモノだと知り、俺は更に知識を増し今に至っていた


「あーでっかいきのこみっけ!」
 それはよく晴れた陽の光が嬉しいと木々が喜ぶ秋の日、少し離れた所から幼い子供の声が聞こえた。
 その頃の俺はすでに『人間』の認識を可能としある程度の範囲を知覚することができていたので近寄ってきた子供へと意識を向けた。
「なーなー、これ持って帰ったらばーちゃん喜ぶよな!」
 子供特有の大きな瞳は俺を見てキラキラと輝き、いつも俺たちを食料として手折っていく老人・・・たぶん子供の祖父だな・・・に話しかけた。
「そうだな、亮はきのこ好きか?」
「うん、俺すっげー好き。鍋とかご飯とか、お母さんがうまい料理作ってくれんだ」
 本当に嬉しそうに笑うその笑顔に俺は人間には様々な種類がいるのだと感じた。目の前の老人にしてもいつもなら表情を変えることなく機械的にきのこ狩りを行っているのに今日に到っては顔中を綻ばせながら子供の頭を撫でている。この子供と一緒にいるからだろう。
「おや、じーさん。今日はお孫さんと一緒なのか?」
 二人を見つけたいつも老人と一緒に来ている青年が尋ねた。
「あぁ、わしの孫だ。何やら娘が離婚やら別居やらで亮を家に置いておけないとか言い出してな。不憫なもんだ…」
「ししどりょうです!」
「元気いーなー僕」
「僕じゃねーもん俺だよ!」
 青年に頭を撫でられて怒る子供に老人と青年はますます笑みを浮かべていた。

『ししど りょう』
 その言葉に俺は再び意識を子供の頭から足まで向けた。

 細いが健康的な肌、山が珍しくて歩き回ったのか傷だらけの手足、そして顔中から溢れる笑顔
 なのにその笑顔とは裏腹に心から滲み出す暗い感情
 老人を気遣い元気に振る舞う感情が俺に伝わってきた

 その時俺の中に何か分からない感覚が生まれた。
 それはもやもやとした、今まで感じたことのない感覚で・・・他の生物たちから得た知識の中で一番近い言葉を当てはめるとするならば『欲求』
 恐怖も悲しみも喜びも何もないこの俺の中に新しく生まれた感覚により俺はこの子供に興味が湧いた
 このまま手折られれば行き着く先は人間の補食行動。俺が「生物」とするならばそこで俺の意識はとぎれる。しかし俺という存在が失われても違う形でこの子供の中で生き続けるというのならそれでもいいかもしれないと思った
 それが自然の摂理なのだから

 しかし

「今日はこんなもんでいーだろ」
 後少しというところで老人の声により子供は俺を手折るのを止めた。
「え〜」
「あんまり取りすぎても食えんからな。また来年くればいいだろ」
 膨れる子供の頭を撫で落ち着かせると三人は去っていった


 あの子供は再びやってくる。焦る事はない、俺の時間は無限なのだから・・・


 しかし、何年待っても子供はやってくることが無かった
 『ししど りょう』、その言葉を思い出すたびに俺の中の感覚が膨れあがってくる

 再びあの子供に会いたい
 
 会ってどうする?どうなる?

 わからないが俺は祈った。どうすれば会えるのかわからず、会ったところで何をしてどうなるかなど全て理解不能の感情だったがただ何よりもあの子供に「会いたい」という気持ちだけで俺の意識は埋め尽くされていた。


 そして冒頭に戻る。


「俺が、人間になったのか?」
 ぺたぺたを『顔』を『手』で触り確認する。普段俺たちを食料として取っていく『人間』その物だった。
 見たこともない風景は俺の見ている『目』の位置によるもののようだ。
「俺が願ったから、俺が人間になったのか・・・」
 まとまらない頭で考えているがそうとしか言いようがない。
「ししど りょう…」
 初めて口にするその名前は甘美な響きを含んでいて俺の心をくすぐる。

 とにかく行かなければ

 俺は急いだ。
 何が起こったのかもわからない、これが奇跡や存在するかもしれない『神』の気まぐれだと言うのならありがたく頂く。その先に代償があるのだとしたら甘んじて受けよう。
 しかしその前に会いたい


 動かし方のわからない『足』をどうにか動かし俺は山を下りた。
 あの子供がどこにいるかなどは全く知らないが自分の意識を飛ばして探る。昔の状態と同じように自分の意識を体から離してそのまま全ての物質と同化するように張り巡らすと一つの風景が見えた。

 幼い頃の面影を残したまま子供は少年へと成長していた。

 俺は足を意識の赴くままに向けた。少年に会うために。
 あの時の少年の笑顔と感情が俺の意識の中に入ったままな気がする。
 同じ人間という存在になって更に感情が流入してきた。

 今なら分かる。
 人間の悲しみ、喜び、怒りという感情が・・・そして愛情も

 ただ側にいたい、あの少年に心からの笑顔を、そして喜びを



 気が付くと『宍戸』と書かれた家の前に立っていた
「ここか?」
 玄関から中に入りそこにあった窓からそっと中を伺う

「宍戸さ〜ん、晩ご飯なんですか?」
「もう腹減ったのか?今母さんが買い物行ってるからもう少しまってろ。ったく、うちで飯食ってるくせにわがままいいやがって」

 中には紛れもなく成長した少年ともう一人同じくらいの少年がいた。
 
「そ、そんなこと言ってないですよ。ただ今晩のご飯は何かな〜って思って。宍戸さんのお母さんのご飯美味しいんでですよ」
 少年に睨みつけられてもう一人の少年が慌てて訂正をする。そんな様子を怒った表情で見ながらも少年の心は穏やかだった。
「まったく、こんばんは鍋だって言ってたぜ。もう秋も深いからな」
「マジっすか?俺鍋って大好きなんです!」
 少年が見せた笑顔は、あの時よりも穏やかで喜びに溢れている物だった

「…」
 その光景をみながら俺はまた心に感情が溢れていた。
 少年に会えたという喜びと俺という存在が必要とされていない寂しさ…



「…あら?いつのまに落ちたのかしら」
 気づくと俺は元の姿に戻り地面に転がっていた。そして俺を拾い上げた人間はしばらく首を傾げ見ていたが、特に気にすることもなく袋に俺を入れると家屋へと入っていった。


 ここで俺の意識は閉じた



「今日はきのこ鍋っすか?!美味しそうですね!」
 俺が再び意識を取り戻したのはまた初めて見る風景だった。
「亮は昔っからきのこが好きでね。長太郎くんもいっぱい食べてね、じゃあ母さんは台所行ってるから足りなかったらまた取りにくるのよ」
「わかった、でもこんだけありゃ大丈夫だろ」
 あぁ、あの少年の声だ。
 俺は薄れゆく意識の中で少年がすぐそばにいるのだと感じた。
 昔少年が俺を見つけて近寄ってきた時の様に。
「そろそろいーんじゃねーの?」
 このまま俺は『死』という物を迎えるのだと感じていたが、この少年の一部となるのなら別にいいだろう。
「はい!いっただっきま〜っす♪」
 少年を待っていた俺の向かって差し出された物体はもう一人の少年の物だった。
 慌てた俺は持っている最後の力で避けた

 それは最初で最後の死への抵抗

「何やってんだよ長太郎激ダサ」
「おっかしーな、なんかこのきのこ滑るんですよ」
「んなわけねーだろ、ホラ。」
 ふわっと少年の手に持つ物体が俺を挟み持ち上げる。
「宍戸さんが器用なんすよ」
 俺を捕獲しそこねた少年は少し拗ねたような感情で少年に抗議をしていた。

 あぁ、これで俺は少年の側にいることができる。俺という存在はこのまま生き続けるんだ

「長太郎、アーン」
 安堵していた俺に少年は無情にももう一人の少年の口の中に笑って俺をねじ込んだ。
「んっ?!あ、熱っ!!」
「上手いだろ」

 閉じかけた意識の中で絶望を感じていた俺が最後に感じた少年の感情…『幸福感』


 少年が幸せならそれでいい


 しかし、この少年の先の人生が更に幸せであるように、俺は再び奇跡を願って祈る


 どうか再びこの少年の元に現れることができますように、それが『俺』という存在でなくても





「…ん…」
 ジリリリリとけたたましい目覚ましのベルの音で目が覚めた俺は目覚ましのスイッチを押すと音が鳴りやんだ。
「何か、変な夢…見たようような気がする…」
 思い出せそうで思い出せない。霧がかかっているようにもやもやとすっきりしない。
「ま、いっか」
 夢なんてそんなもんだろ。俺は軽く伸びをすると布団から出て顔を洗いいつものように制服に着替えて朝食を食べる。
 授業の分と部活の分の鞄を持って家を出て歩き出した。
 電車からいつもと変わらぬ風景を眺めながら朝の夢の思いだす。何か懐かしいような感じがして誰かが出てきたような気がするけど思い出せない。
 いつまでも思い出せない夢を引きずるなんて下らないと駅につくころにはすっかり頭の中を入れ替えて改札を出た。

「おはよう日吉」
 しばらく歩いていると背後から声をかけられる。俺も振り返って挨拶を返す。
「おはようございます、宍戸先輩」


この思いは永遠に引き継がれる…君に会うために



終わり