氷帝テニス部における忍足侑士的観察と芥川慈郎という存在



 きっかけはいつも跡部の気まぐれな一言から始まる。


「おいお前ら、これから空いてるだろうな」


 全国大会出場も決まって改めて激しい練習が続く日々。
 疲れた体を少しでも休めたいと言葉少なに着替える俺らの前に跡部はふんぞり返って当然の様に尋ねてきた。
「これからって、今日はもう休みだろ?何で空ける必要があるんだ?」
 同じように着替え終わってもじっとりと噴き出す額の汗をタオルで拭って宍戸が尋ね返す。
 余力のある者はこれからストリートテニスでもしに行くかもしれへんけど、休養もプレイヤーとしては大切な勤めや。
「俺のスポーツジムの隣りにスパリゾートを作った。そのプレオープンにもったいないがお前らを招待してやる」
「スパリゾート?」
 聞きなれない片仮名に岳人と宍戸は顔を見合わせた。そして二人して俺の方を見てその意味を求めてくる。
「多分大っきいて色んな種類のある銭湯みたいなもんやろ、そんでもってエステとかがあったりするような…」
 あやふややけど自分の知識の中から二人にわかりやすいように単語を出して説明すると二人はわかったのか頷いた。
「最近練習も過酷になってるからな、まぁ俺からお前らへの労いだ」
 ふふんとあくまでも尊大な態度をとりながらも部員を労わる跡部に、俺も含めてみんな感嘆の声を漏らした。
「ありがとうなぁ跡部」
「跡部いいとこあるじゃん」
「すごく楽しみですね」
「跡部家のだからすごくゴージャスなんだろうね」
「ありがたく行かせていただきます」
「珍しくいいことするじゃねえかよ」
 口々にお礼を言う中、最後の宍戸の言葉に少しだけ表情を険しくしながらも跡部はついてこいと樺地にカバンを持たせて部室を出て行った。
 その姿に着替えの終わってない俺とかは慌てて制服を着てついて行く。



「ここが例のとこか・・・」
 跡部が用意した車に乗せられて着いた先は跡部スポーツジムの裏やった。
「何かキラキラしてるなぁ」
 見上げて目を丸くする岳人の気持ちもわかる、その建物はヨーロッパ系の柱やらなんやらで造られてた。
「世界中の観光地をイメージしたフロがあってそれぞれのゾーンに分かれてるんだ。日本的なものやヨーロッパ的な物とかな」
 跡部説明するにどうやら行ってみるのが一番わかりやすいらしい。
「ほな行ってみよか、ジロー?ジローまだ寝とるんか?」
 こんだけすごいのに樺地に背負われたジローは寝たまんま。
 最近は練習も頑張って出とるから疲れがたまってるんやろうなぁ、俺がジローの頬を突付くとジローは目をこすって目を覚ました。
「何、忍足…」
「跡部が銭湯に連れてきてくれたで、ここで疲れを癒そうや」
 まだ寝ぼけてるんかジローは顔を上げて正面を見た、その顔がみるみるうちに輝きだす。
「すっげー!何これ!!銭湯?マジで銭湯?早く行こうぜ忍足〜」
 樺地の背中から下りたジローは真っ先に走り出し一度止まって振り返ると大声で叫んだ。
「どないしたらあんな一気にテンション上がるんや…」
「待てよジロー、先行くなって!」
 半ば感心する俺の横をすり抜けて岳人も走っていいく。
 別に風呂は逃げへんのに、元気やなぁと俺らも館内へと入っていった。



「色々とあるから好きなところに入って後で感想を聞かせろよ。ま、素晴らしい以外の感想は出ねえだろうがな」
 跡部の後についていきロッカーにカバンを入れ腰にタオルを巻くと俺らは一歩中に足を踏み入れると…
「うわ・・・なんやこれ」
 高い天井、いきなり現われた目の前の泉に誰もが目を丸くした。
「ここはローマをイメージしてある。トレビの泉くらいお前らでも知ってるだろ?詳しい説明はそれぞれ壁に説明書きがあるぜ」
 確かに水面に手をつけて触ると暖かくてここも風呂なんやと実感する。それにしても・・・何でいきなり彫刻に出迎えられてんのやろ。
「じゃあここで解散しようぜ、好きなところに行ってみるか」
 違和感の衝撃に我を忘れていると、宍戸が提案してそれぞれが散り散りに動き出した。
「え?あ・・・みんなおらへんやん」
 置いていかれた俺はどこに行こうか迷った。ふと、思い出して入り口に戻ると全ての風呂が乗ってる地図を眺める。
「ここがローマ風呂やろ、そんでもってギリシャ風呂に檜風呂にインド風呂にイタリア風呂にイスラム風呂にスペイン風呂に渓流風呂か…むっちゃ多てどこ行ったらええかわからへんな」
 名前からどんな風呂か想像もつかへん。こういうのはちょっとずつ回ったらええんや。
 俺は一番近い檜風呂へと向かう事にした。



「あ、忍足さん」
 入った空間に足を踏み入れた途端、清々しい檜の香りが鼻腔をくすぐる。そしてそこに浸かりゆったりともたれかかっていた日吉が顔だけ俺に向けた。
「日吉一人なんか?」
 かけ湯をして隣りに入ると日吉はそうですと頷いた。
「何や落ち着くなぁ」
「そうですね、他はいまいちですがここはすごく落ち着きます。日本人ならやっぱり檜ですよ」
 二人で目を閉じて大きく息を吸い込む。むっちゃ落ち着くんやけどここだけにおるんももったいないかな。
「まったりしてええんやけど、他のところも回ってみるな、他の奴らがどこにおるか知っとるか?」
「そうですね…向日先輩が渓流風呂に行ってみるって言ってらっしゃいましたよ」
 渓流、確か外で露天になってるところやったな。
「ほなそこ行ってみよかな」
「俺も後から行ってみるってお伝えください」
 頭の上にタオルを乗せてくつろぎモードに入っている日吉に了解と言うと俺は浴槽からあがった。


「渓流風呂はこっちか…」
 廊下を歩きガラガラと外へと続く扉を開くと、肌寒い風に一瞬身震いする。
 そこはゴツゴツした石で形作られ、草木が生えてまさに山の中の露天風呂を想像させた。
「お、侑士〜こっちこっち」
「岳人、どんな感じや?」
 滑る足元に気をつけながら近づくとさっきの日吉と同じようにタオルを頭に乗せた岳人が両手を広げて湯船に浸かっていた。
「渓流風呂って言うからよ、流れるプールみたいなの想像してたけど全然違ってちょっとがっかりだな」
 そんなん温水プールちゃうんやからあらへんやろ…
「あんまりそんなん見かけへんなぁ。あ、日吉後からこっち来る言うてたで」
「おー、そう言えばこっちも日吉好きそうだから行ってみようぜって言ってたんだ。檜風呂が気に入ったのかあいつ珍しく上機嫌だったよな」
 珍しい物を見たと岳人はニヤリと笑っている。確かに日吉はホテルよりも旅館の方が好きやとか前にも言うとったもんな。
「侑士も入って行くか?」
 パチャパチャと湯を手ですくう岳人に俺は首を横に振る。
「ええわ、とりあえずどんなんがあるんか一通り見て回ろうと思うんや。一々入ってたら長湯してまいそうやし」
 さっきの檜風呂ではかなりまったりしてもうた。全部で入ってたらとてもやないけど入りきれへんような気がする。
「そっか〜、俺はここが一番だと思うけどよ。侑士がいいと思ったところ後で教えてくれよな」
「わかった教えたるわ」
 親指をグッと立てて笑う岳人に俺も笑いながらその場を後にする。

 そういやジローはどこにおるんやろう

 岳人とに負けへんくらいの素早さで行ってもうて気付いたらどこにもおらへんかった。
 すばしっこいくせに一度眠りについたら全く起きひん。
「まさか風呂の中では寝てへんやろう」
 そやけど万が一の可能性は否定できひんと俺はジローを見つけるために館内へと戻った。


「…あ、忍足〜」
 スペイン風呂のスペースへと足を踏み入れるとすぐに声をかけられた。
「おー滝、滝はここにおったんか?」
「うん、ここは露天もあるしこうやて飲み物を飲みながら足湯もできるんだよ」
 滝が指さす先にはさっきの渓流とは違うタイプの露天風呂があり、大理石調のタイルと天井の棚に伝う蔦。
「ここもええ雰囲気なんやなぁ」
「こうやって途中で水分を取るのもいいんだよ、汗を流して水分を取る。体の中が綺麗になっていくしね」
 隣りに座って足をつけるとじんわりと暖かくてほんわりとする。
「滝は他の奴ら見てへんか?俺は日吉と岳人に会ったんやけど」
 出されたミネラルウォーターを一口飲むとほてった体に気持ちええ。
「んーとね、鳳と宍戸なら見たよ」
「なんやあいつら一緒のところ行っとるんか」
「そうなんだけどね…」
 先ほど見た光景を思い出したのか滝がクスクス笑いながら話し出した。



 僕が歩いてたらどこからか鳳の悲鳴が聞こえたんだよ『やめてください』って
 だからびっくりしちゃってさ、慌ててそこにいくとインド風呂のサウナから鳳が飛び出してきてね。
「どうしたの?」
 って俺が聞いたら鳳半泣きになっちゃってさぁ。
「聞いてくださいよ滝さん!宍戸さんってば酷いんですよ」
 訳がわからないでいるとサウナから宍戸が出てきてさ、言うんだよ。
「アレくらいで根を上げるなんてダセえな」
 俺は知らなかったんだけどさ、そこは塩サウナだったらしいんだよね。どうも鳳も知らなかったらしくってさ、そこで宍戸に塩を塗られたらしいんだよね。



「なるほどな鳳は肌が弱そうやから痛かったんやろうなぁ」
 庶民代表みたいな宍戸と跡部ほどとはいかんでも金持ち鳳では耐性がちゃうんかもしれん。
「鳳って絶対に日焼けしても黒くならずに赤くなるタイプだよね」
 可哀相にと言いながらも滝はよっぽど面白かったのか笑っている。
「ほんで、鳳は別んとこ行ったんか?」
「うん、『俺はギリシャのハーブ風呂に入ってきます』ってトボトボ歩いていったよ。宍戸はああいうの嫌いだからそのあとジェットバスで横になってたかな」
 鳳も災難やったなぁ、宍戸も悪気があってやったんとちゃうのに。
「そっか、ほなインド風呂ん所にもジローはおらへんかったんやな」
「ギリシャも鳳が行く前に俺が行ってたからジローは来てなかったよ。捜してるの?」
 滝に覗き込まれて一瞬言葉に詰まった。素直にそうやって言えばええのに、なんでやろ。
「…ほら、ジローの事やからどっかで寝てたら困るやろ」
「何か言い訳っぽいよ、別に追求したつもりはないのに」
 滝の言葉に妙に自分が意識してただけやと思い知らされた。俺はただ純粋にふと気になっただけやのに、今では必死に捜さなあかん気になってる。
「そういうつもりやなかったんやけど、せっかく気持ちええんやから…ジローと一緒に入りたいなぁと思て、ここ広いからつい必死で探してまうわ」
 苦笑いする俺に滝はわかるよと微笑む。
「こういうところって楽しいけどさ、一人じゃやっぱり何となく味気ないよね。だから俺も忍足の気持ちはわかる」
 さっきの宍戸と鳳のことを思い出してるんか少しだけ滝の顔が淋しそうに見えた。
「ほな滝も一緒にジロー探すか?」
「俺はいいよ、もうちょっとここで休んでいきたいし」
 淋しそうな横顔も一瞬に笑顔に消えて滝はコップを持ち、カランと揺らし音を立てる。
「そうか?ほな俺は行くな」
 飲み干したグラスを置くと俺は立ち上がった。
 こういう広いところもええけど、みんなで同じところに入れる普通の銭湯みたいなんもええんやろうなぁ。
「見つかるといいね」
 滝の応援を背に受けて俺は次の風呂を目指す。よう考えたらジローが俺と同じように動いとったらすれ違って会えへん可能性もあるんやもんな。


「ジローはここやろか…ちゃうな、他行こ」
「待てよ忍足」
 チラッと覗いただけですぐに顔をひっこめたのに、目聡く跡部に見つかってもうた。
「なんて言うか、跡部むっちゃ似あっとるで」
 渋々近寄り状況をしっかり見る。青を基調とした空間はライトで照らし出されて極彩色なタイルで彩られてた。
 そこの真ん中で堂々とくつろぐ跡部の横でチョコンと座っている樺地…なんや跡部が王様に見えてきた。
「だろうよ、本当はもっと金色を使いたかったんだけどな。そうなると俺くらいしか似合わなくなるからわざわざ抑えたんだぜ、なぁ樺地」
「ウス」
 満足そうに微笑む跡部と律儀に頷く樺地。
「俺、ちょっと他行くわ」
 ジローを探しに来たのにここにはおらんようやな。
「ここの風呂が気にいらねえってのか?」
「いや、そうやのうて他もちょっと見てみたいなぁと思っただけや」
 途端に機嫌の悪くなる跡部に弁解しながらもあと行ってないところがどこか思い浮かべる。
「…ふん、どうせお前のことだ。ジローを探し回ってまだ見つけられてねえんだろ」
 全てを見透かす跡部の視線に俺はそのとおりやと苦笑いする。
「色々と回ってるんやけどなぁ、見つからへんわ」
「ジローなら最初インド風呂のマッサージバスにいたぜ。そのまま寝そうになったから追い出したけどな」
 追い出すって…客なんやからええやんか。まぁジローならそのまま熟睡してそうやけど。
「後残ってんのははイタリア風呂やな…ジローのイメージにピッタリやけどおるんやろか」
 もしかしたら案外檜風呂とかでボヤっとしてるかもやけど元気なジローには太陽降り注ぐイメージも合ってる。
「ほなとりあえず行ってみるわ」
 さっきから思うけど、他のみんなはずっと同じところしか入らへんのやろか。俺は色々と入ってみたいと思うんやけどなぁ。
 俺は濡れたタオルを片手にイタリア風呂へと目指した。

 どこもええと思うんやけど、なんやろ…ここっていう決め手があらへん気がする。

「イタリア風呂ってここか…なんやここ?」
 一歩踏み入れるとそこはまさに青色の空間で、おぼつかない足元のまま俺は湯舟にそっと足を入れた。
「ジロー?おるんか?」
「…忍足〜」
 声をかけると返事が返ってきた、どうやらおることはおるらしい。
「どこやジロー」
「こっちだよ、岩がゴツゴツしてるから怪我しないようにねー」
 見ると岩の向こう側から手が伸びてヒラヒラとしている。俺は足元と回りに気をつけてジローの元へと行った。
「こんな所にいたんか」
 隣りに腰を降ろすとジローはもたれて天井に視線を向けている。
「最初はマッサージバスってのに行ったんだけどよ、すっげー気持ちいいけど眠くなって跡部にこんなところで寝るなって怒られちまった。で、ここに来たらすげえー綺麗で、ずっといたんだ」
 ジローと同じように俺も岩にもたれて天井を見上げる。青い色が目に優しい、ここも気持ちがどんどん落ち着いてくるなぁ。
「ここは青の洞窟をイメージして作ってあるんやな」
「それになんか石からマイナスイオンとかも出るんだってー」
 こてんとジローが俺の肩に頭を乗せてきた。マイナスイオンか…体にええんやったっけ。
「全体的にどこも癒し空間なんやけど、俺もここが一番ええ感じがするわ」
「へへ、忍足も俺と一緒♪」
 ニィっと微笑むジローにつられて俺も笑顔になる。
「そういえば忍足、ここって肌がすべすべになるんだって」
 自分の頬を手でこすって笑うジローの肌を俺もソッと触ってみた。いつも柔らかいけど、今日はいつもより柔らかい気がする。
「ほんまやな、すべすべや」
 俺の行動が予想外やったんかジローは目を丸くして少し頬を赤らめる。
「〜っ、忍足だって同じだろ!」
「わっ!ジロー!?」
 照れ隠しか勢いをつけて抱きついてくると自分の頬を俺の頬に擦りつける。
「やめって恥ずかしい」
「いーじゃんか俺たちだけなんだし」
 バシャバシャと湯を波立たせながら二人でじゃれる様子は、とてもやないけど恥ずかしいて他の奴らに見せられん。
「マイナスイオンって、人からも出るもんやったかなぁ」
「へ?いきなりどうしたんだよ」
 しみじみと言う俺にまたもや不思議そうに俺を見つめる。
「ん〜、ジローとおったらむっちゃ落ち着くねん。そやからジローからマイナスイオン出てるんやないかなと思って」
 滝の言うとおり、一人で入るより一緒の方がええし。俺はこうやってジローと一緒が一番落ち着くんや。
「もう忍足可愛E〜!」
 俺が笑ってると、何かを耐えるように震えていたジローがいきなり抱きついてきた。
「人からマイナスイオン出んのか俺もわかんねーけど、多分忍足からもマイナスイオン出てるって!俺だけが感じるマイナスイオン♪」
「そうか、ほなきっとマイナスイオンみたいなんが出てるんやな」
 マイナスイオンの定義もようわかってへんけど、二人してマイナスイオンと連呼する。
「なぁなぁ忍足、今度またここ来ような〜」
「そうやな、約束やで」
 別にここでのうてもええんやけど、ここやと二人っきりでまったりできるから。みんなで行く時と使い分けられるようにしたいわ。
「跡部に感謝しなくちゃだよな」
「そやな、すっかり忘れた」
 ほやんと笑うジローにそういえばそうやったなと俺は心の中でちょっとだけ跡部に感謝をするのだった。


 のちに、割引回数券を跡部に作ってもらったとジローが俺に見せてくれたが、それはジローのみで俺には適用されへんかった。
 跡部は俺に恨みがあるんやろうか…



終わり